日本には47の都道府県がありますが、このうち20以上の県が独自に県民の日を制定しています。明治維新後の廃藩置県によって県が誕生した日を設定しているところもあれば、長野オリンピックの開会式が行われた2月7日を記念日とした長野県のような例もあります。そして、北海道議会でも「北海道の日」制定に向けた動きが進んでいます。
「北海道の日」の有力候補は7月17日
「北海道の日」の制定は、北海道議会の主要5会派から発案されたものであり、与野党を超えた動きとなっています。「北海道の日」制定をきっかけに、観光や食品などの北海道ブランドのPRを行っていきたいと考えているようです。
「北海道の日」の候補日は、第一候補として松浦武四郎が「北加伊道」の名称を明治政府に提案した旧暦の7月17日、第二候補としてその新暦の8月24日、第三候補として「北海道」の名称が決まった旧暦の8月15日、第四候補としてその新暦の9月20日と4案あり、いずれも北海道の名称決定にちなんだ日となっています。道議会5会派で検討が重ねられていますが、現在7月17日が有力視されています。
松浦武四郎とは?
出典:http://plaza.rakuten.co.jp/machi01hokkaido/diary/201209260001/
「北海道の日」制定に向けて注目を浴びる松浦武四郎ですが、一体どのような人物なのか簡単に経歴を紹介します。
松浦武四郎は、1818年に伊勢国(現在の三重県)で郷士の子として生まれ、本草学を学んだ後に全国をめぐり始めます。1844年には蝦夷地と呼ばれていた北海道を探検し、択捉島や樺太にまで足を運んだそうです。明治維新後の1869年には政府から開拓判官を任命され、アイヌ語の地名をもとに現在にまで伝わる北海道各地の地域名称を決めていきました。そして、蝦夷地と呼ばれていた北の大地について「北加伊道」という名称に改めるように政府に提言、ここから現在の「北海道」という名称が生まれたのです。
この後も松浦武四郎は北海道各地を回り、150冊以上の調査記録書を遺しています。これらの記録書は開拓当時の北海道の姿を記録した貴重なものです。北海道人と号して、千島一覧という錦絵を描くなど、現在の北海道を語る上では切っても離せない人物と言えます。
「北海道の日」制定後の次の一手が重要となる
北海道議会では、今後、道民からの意見募集も行って正式に「北海道の日」制定に向けた条例提出の準備を進めていくようですが、何のために制定するのか、制定後に何をするのかも議論されていくことを期待します。
「北海道の日」を観光や道産品PRの日にするにしても、そもそも他地域の消費者にどれだけ伝わるのかも未知数です。また、北海道という名称決定の前から北の大地自体は存在していましたので、アイヌの方々への配慮も必要になってくることでしょう。全ての北海道民が納得できるような丁寧な議論が必要です。